夢への軌跡_一つ屋根の下のながーい一日:連休5日目

20190815_一つ屋根の下のながーい一日:連休5日目

 

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【一つ屋根の下のながーい一日:連休5日目】

 

おはようございます。

8月15日 木曜日です。

 

晴れのピーカンの日が続いて

その次はゲリラ豪雨に襲われるここ2日です。

 

常に傘が必要な関東地方です。

 

毎日、雷とゲリラ豪雨に遭遇している

私・福山紫生です。(笑)

 

さて、今日のお題は、

【一つ屋根の下のながーい一日:連休5日目】です。

 

昨日は本当に長く感じる一日でした。

本来のスケジュールとしては

実母を施設でピックアップして

総合病院へ連れていき、

整形外科外来の診察でした。

 

もちろん、そのスケジュールは予定通りに

完了したのですが、、、、、

途中でアクシデント発生です。

 

施設からピックアップしようとしたその時、

実父の携帯から電話がありました。

 

『ちゃんと来てるよ!』

と思いつつ、電話に出ると、

 

「〇〇消防救急隊です。」

とのこと。

 

『あー、、またですか?

    ご迷惑をお掛け致します。』

 

「何時頃、病院に来られますか?」

という問い合わせに、

実母の診察があることを伝え、

昼頃には診察終了して実父のところへ

迎える内容を伝えました。

 

実母の診察は整形外科であり、

事前にレントゲン撮影があり、

まぁまぁ、綺麗に圧迫骨折している

T11番でした。

 

前も後ろもであれば、

そりゃぁ、痛い人には痛いでしょうね。

若い人は筋肉でカバーしてくれるので

それほどではないようです。

 

実はわたしも圧迫骨折経験者です。

 

痛みとは個人のレベルの差があるので

考え方次第だとも思います。

しかし、その間、ずーと、嘔吐を繰り返している

実母なので

周囲の看護師や医師が気になり、

救急外来へ向かいました。

 

通常の内科診療は時間外となり、

救急しかないのですね。

 

実父は、救急車で運ばれて

体内の水分を抜いてもらってからは

気分が晴れたように話しています。

 

しかし、ここからが問題なんですね。

循環器内科の主治医と長男である私と

患者である実父がベッドサイドで話をして

「85歳で透析患者が生きて一人で生活していることが不思議」

というテーマになりました。

 

実父にしっかりと理解してもらえるように

丁寧に説明しましたが、

まだまだ、生き残りたいという意識が強く

「先生!手術をおねがいします。」

と言っていました。

どうも、実父はペースメーカー埋込術と混同しているようです。

 

主治医は、リスクが大きくて

管人間(くだにんげん)になる可能性が高いことを伝えて

やっと、手術の断念を行いました。

 

長くても後1年程度なので、

今回のような苦しい状況を繰り返すこととなりそうです。

 

従い、今後の方針としては、

自宅へは戻らず、慢性期病院か透析のできる老人保健施設への

入所が望ましいということとなりました。

 

長男の私としては、少しでも家の中を片付けて欲しいと

思っていましたが、

5月末の退院後、何もせず、

結局、自分で救急車を呼ぶ行為になってしまいました。

 

当初から、長男の私の意見としては

『自分で救急車を呼んだら、二度と家には戻れないからね。』

と忠告していたのですが、

実父には伝わっていなかったようです。

 

残念ながら。

実母は、救急外来で診察を受けるも

原因が分からず、2時間の点滴のあと、

入院となりました。

大きな病院なので

病棟は異なりますが、

幸いなことは、実父母とも一つ屋根の下に

いるということですね。

 

私の自宅からは、100km程度ですが、

一箇所にいてくれることで安心感はありますね。

 

【一つ屋根の下のながーい一日:連休5日目】とは

私にしてみると、昔の家族の面倒をみることとなり、

別の意味で家族の時間を過ごせたことと解釈できます。

 

この段階では、人生観、死生観をしっかりと

考えて生き抜くことが必要ですね。

 

何があっても迷わないように。

 

『親の親になるということは、こういうことか?』

と実感しました。

老いた両親に感謝しつつも

反面教師として自分の生き方を学ぶこととなりました。

にゃんにゃん。。

 

今日は木曜日です。

 

クロス円は円高傾向ですね。

DJIは800ドルの下げ

WTIも下

という動きなので

円高加速かなぁとも思いますが、

 

サイクル理論的には上なんですよねぇ。

 

非常に難しい環境です。

 

どうやって、利益を生み出すのか、

しっかりと考えていきたいと思います。

 

改めて、チャートと向き合いますね。

楽しみながら。。。

 

にゃんにゃんにゃん。。。

 

エセアナリストですけど。。。(笑)

 

ぼちぼち、政府も動き出しましたね。

今度は、3000万ですね。

簡単に定年後必要資金を釣り上げないで欲しいなぁ。

 

エセアナリストのお仕事です。(笑)

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夢への軌跡_FX_おじえん_相場環境認識_20190804

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収縮と伸長の繰り返しです。

2018年のドル円の年ボラは10円ちょっとです。

 

平均値は16円程度です。

 

と言うことは、

2019年は反動がくるのではないか?

と考えています。

 

エリオットで数えていきましょう。

 

いつか来るであろう、毎日給料日と

考えています。はいっ!

 

負けないトレードを目指します。

 

個人的な目標は週に100 pipsです。

この技術があれば、怖いことはないですね。

 

色々な考え方がありますが、

それぞれの通貨で、

しっかりと、学んでおくと

失敗は少なくなりますね。

 

「えふえっくす」は心理学の一つかもしれません。

 

このようなアナリスト気分になれるのは

やはり、学びです。

 

学びは力になりますね。

https://fukuyama-syo.com/2019

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【学ぼう! えふえっくす!!!】

スタートミーアップ 「えふえっくす」 です。

 

学んでみませんか?無料です。

全国展開中です。

 

興味があれば、覗いてみましょう。

その後の判断は、自分で考えてくださいね。

 

学びは裏切りませんので

まずは、学んでからトライしていきましょう。

 

「えふえっくす」で勝敗を分ける理由は、

・情報不足

・慢心

・思い込み

となります。

 

今や、感情を度外視したトレードも可能ですね。

感情トレードは資産を溶かします。

ですから、学びましょう。

 

学びを怠ると、自分の力にはなりません。

https://fukuyama-syo.com/2019

 

にゃんにゃんにゃん。。。

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。