夢への軌跡_冷たいようだが、自分で考えて!!!

20190719_冷たいようだが、自分で考えて!!!

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【冷たいようだが、自分で考えて!!!】

 

おはようございます。

719日 金曜日です。

 

昨日は400kmの走破を想定していましたが、

なんと、330km止まりでした。

 

ということは、まだまだ走れるプリちゃんです。

 

給油を必要とするか否かが

大きなポイントであったのですが、

愛車のプリちゃんは、燃費が良く、

そして、予想外に距離が嵩まず、

給油の機会を逃しました。(笑)

 

嬉しいことなんですけど。。。

 

本当に今週は、車の中での生活が多く

電話対応も英語のレッスンも

車中で行うという生活でした。

 

昨日帰宅後はぐったりとなり、

『あれ? 今週はまだ3日目だよなぁ。』

と思うことしばしば。。。

 

暑さに耐えきれないのかもしれません。

湿度が異常に高いので

今年初の途中で下着替えです。(笑)

 

そうしないと、Yシャツがずぶ濡れになるので。

 

これも車であるから、

できる技となります。

 

プリちゃんに感謝です。

 

ということで、今日のお題は、

【冷たいようだが、自分で考えて!!!】です。

 

昨日、親父から電話がありました。

内容的には下記の通りです。

 

「お母さんが帰ってきたんだけど、

 俺が苦しいのさ。」

 

『いやぁ、仕方ないんじゃ無いの?

 世話しようと思うから。』

 

「酸素もつけているんだけど、

 苦しい時には、どうすれば良い?」

 

『私は医者では無いので

 何も言えないよ。

 でもね、自分で救急車を呼んだら、

 生き延びたいって誰もが考えるんだよ。

 それが、業界の考え方だから。』

 

「え? じゃぁ、

 苦しくても自分で呼んだらいけないの?」

 

『そうだねぇ。その年齢で自分から救急車を呼ぶと

 誰もが助けるという判断になると思うよ。

 そうすると、二度と家には戻れないよ。』

 

「なんで、戻れないのさ。

 回復すれば良いんじゃないの?」

 

『いや、回復しても、

 自立生活が営めないという判断になるし、

 病院や施設からは出られないと思う。』

 

「そうなんだ。」

 

という親父との電話での会話を行いました。

 

医療の現場は命を助けることが結果であり、

その結果を追い求めています。

 

我が親父は余命が約1年となります。

はっきり言って、

いつどうなるかわからないにも関わらず、

ちょっと元気になると勝手な判断で

周りに迷惑をかけてきました。

 

車両の移動、

強引な一時退院、

更には、

ケアマネや主治医への暴言

となります。

 

論理的でないことは重々承知していますが、

自分の親父であることから、

 

『最期は、自宅で。』

 

と私は考えました。

そして、夫婦で過ごしてもらいたいと

サポートしました。

 

親父から、

「苦しい時にどうしたら良いの?」

と聞かれたので、

  

しばらく考えて、

『自分から救急車は呼ばないことだね。』

 

「だったら、死んじゃうじゃないか。」

 

しばらくの沈黙の後、

 

『死にたいんじゃないの?』

 

と聞き返しました。

 

「・・・」

 

常に

「俺はどうなっても良い!」

「残されたお母さんが心配だ!」

と言っていたので、

 

突き放すように、

『自分で考えて!!!』

と言いました。

 

どのような人間でも生きる権利はあります。 

それに対して否定はしません。

 

しかし、自分の末路を自分で判断できない人間は、

考え直した方が良いかもしれません。

 

ぼちぼち、しっかりと、

「お世話になります。」

という意思表示が必要ですね。

 

亡くなる時は、一人です。

残された人が後処理をするのですから。

  

【冷たいようだが、自分で考えて!!!】とは

自分の末路については、

自分で考えてもらいたいですね。

 

いかに綺麗に生き様を示していくのかが

大きなポイントのように感じています。

 

親父ながら、

「どうすりゃ良いの?」

と聞かれた時には絶句しました。

 

認知症も入っているのかもしれませんね。

 

終の住処(ついのすみか)が

自宅であることの贅沢さを

満喫して日常生活を楽しんでもらいたいと

考えています。

 

何事も経験です。 

これも学びですねぇ。

 

人間、一人では生きていかれないのです。

自分に関わる全ての人に、

そして、身の回りの道具に、

更には、自分自身にも感謝です。

 

にゃんにゃん。。

  

今日は、金曜日です。

昨日はしっかりと利確でき、

更にポジション保有です。

 

そして、ドル円が動き出しましたね。

こちらのどこかでエントリーして

利益を膨らませたいと考えています。

  

勝つときもあれば、負けるときもあります。

  

常に平常心でトライしたいですね。

DJIは変化なし

WTIは下

 

という微妙な関係ですが、

チャート上ではドル円が急降下ですね。 

   

チャートと向き合いますね。

楽しみながら。。。  

 

エセアナリストですけど。。。(笑)

    

ぼちぼち、政府も動き出しましたね。

今度は、3000万ですね。

簡単に定年後必要資金を釣り上げないで欲しいなぁ。

  

エセアナリストのお仕事です。(笑)

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夢への軌跡_FX_どるえん_相場環境認識_20190714

https://fukuyama-syo.com/archives/11824

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夢への軌跡_FX_おじえん_相場環境認識_20190714

https://fukuyama-syo.com/archives/11827

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収縮と伸長の繰り返しです。

2018年のドル円の年ボラは10円ちょっとです。

  

平均値は16円程度です。

 

と言うことは、

2019年は反動がくるのではないか?

と考えています。

  

エリオットで数えていきましょう。

 

いつか来るであろう、毎日給料日と

考えています。はいっ! 

    

負けないトレードを目指します。

  

個人的な目標は週に100 pipsです。

この技術があれば、怖いことはないですね。

 

色々な考え方がありますが、

それぞれの通貨で、

しっかりと、学んでおくと

失敗は少なくなりますね。

 

「えふえっくす」は心理学の一つかもしれません。

  

このようなアナリスト気分になれるのは

やはり、学びです。

 

学びは力になりますね。

https://fukuyama-syo.com/2019

             

【学ぼう! えふえっくす!!!】

スタートミーアップ 「えふえっくす」 です。

 

学んでみませんか?無料です。

全国展開中です。

 

興味があれば、覗いてみましょう。   

その後の判断は、自分で考えてくださいね。

 

学びは裏切りませんので

まずは、学んでからトライしていきましょう。   

  

「えふえっくす」で勝敗を分ける理由は、

・情報不足

・慢心

・思い込み

となります。

  

今や、感情を度外視したトレードも可能ですね。

感情トレードは資産を溶かします。

ですから、学びましょう。

 

学びを怠ると、自分の力にはなりません。

https://fukuyama-syo.com/2019

  

にゃんにゃんにゃん。。。

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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福山 紫生(Syo Fukuyama

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。