夢への軌跡_気が気じゃない心境・・・

20190707_気が気じゃない心境・・・

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【気が気じゃない心境・・・】

 

おはようございます。

77日 日曜日です。

 

織姫と彦星が出会う一年に一度の祭典ですね。

短冊にたくさんのお願いを書いて

竹に取り付けた覚えがあります。

 

もちろん、業務中の訪問先である病院でも

同様に行なっていますね。

 

特にこども病院では、

「早く帰れますように。」

「病気が治りますように。」

と言うようなお願いごとを書いている

子ども達が多いです。

 

訪問先でのちょっとした一服感があります。

 

病気との闘いは、自分との闘いでもあるので

しっかりと頑張って、完治に向かって

進んで欲しいですね。

 

さて、今日のお題は、

【気が気じゃない心境・・・】です。

 

土曜日のお父さんのお仕事としては、

小粒ちゃん(ネーネ)の通学の送迎がメインになります。

 

送迎と言うことは、

午前授業であるので4時間から5時間くらい

車中で待機しています。

 

帰るのが面倒なのと

時間の有効活用ですね。

 

昨日の土曜日は、

「お父さん、帰りは遅いかも?」

と小粒ちゃん(ネーネ)。

 

『なんで?』

「保健体育の試験があるの。」

『あっそう。気をつけてね。

 無理すると後で出てくるから。』

 

と言う会話の後、

クルマを降りた小粒ちゃん(ネーネ)でした。

 

定時では、1240分くらいには

戻ってくるのですが、

1時間経過しても、戻ってきません。

 

小粒ちゃん(ネーネ)は持病があり、

スケジュール通りの行動にも

予定通り進まないことがあります。

 

ましてや、イレギュラーな保健体育の試験ですから。

 

そして、更に来週からは、

1学期の期末試験となります。

 

保健体育の教員は、小粒ちゃん(ネーネ)の担任です。

 

お父さんはそもそも論として

体育教師が嫌いです。(笑)

 

保健体育を学習しているにも関わらず

解剖学については疎い。

そして、

常に根性論丸出し。

更に、

感情的にモチベーションアップを行う。

 

と言う体育教師への批判です。(笑)

 

小粒ちゃん(ネーネ)は

保健体育の救急法で居残りとなりました。

 

もともと、

光過敏症であるので、

白色については、問題あり。

 

ノートも白いのでちょっとしんどそうです。

 

その状況下で4時間目終了後

三角巾の折り方のテストを受けました。

 

かなり、しんどいんですよ。

 

お父さんもお母さんも気が気じゃないんですよ。

相手が担任であるので

「うるさい親」

と言う認識が生まれますよね。

 

当然、人それぞれ、常識の範囲は異なりますので。

 

イレギュラーな対応をどうするのか?

非常に大きな問題です。

 

その白布を利用したテストは

結局、途中でリタイア。

 

「このままじゃ、通知表は2になるよ。」

と脅されても、

健康第一の小粒ちゃん(ネーネ)は

「それで良いです。帰ります。」

と後にしたようです。

 

だいぶ成長したなぁとも感じました。

 

やはり、健康第一であり、

それを管理するのも自分ですよね。

 

小粒ちゃん(ネーネ)の成長に満足気の

お父さんですが、

帰宅途中の車中では

最大限のケアが必要となります。

 

お父さんも楽じゃないですね。(笑)

  

【気が気じゃない心境・・・】とは、

常に小粒ちゃん(ネーネ)の健康です。

 

帰宅途中でお母さんは学校に連絡して、

「目に異変が起きたら、

 保健室で横になるように言ってあったはずですよね。」

 

と激怒していました。

 

夏季休暇中に、個人面談があります。

 

担任である体育教師に面談するのは

お母さんのみか?

お父さんを追加するか?

学年主任を追加かも?

 

関係ない人から見たら、モンスターですよね。

しかし、我が子であるが故に

モンスターになれるのです。

 

そして、親バカになれるのも

自分の子供であるからですね。

  

何事も経験です。 

これも学びですねぇ。

 

人間、一人では生きていかれないのです。

自分に関わる全ての人に、

そして、身の回りの道具に、

更には、自分自身にも感謝です。

 

にゃんにゃん。。

 

今日は、日曜日です。

検証の日ですね。

 

個人的には相場環境認識をアップロードします。

 

ぼちぼち、政府も動き出しましたね。

今度は、3000万ですね。

簡単に定年後必要資金を釣り上げないで欲しいなぁ。

  

エセアナリストのお仕事です。(笑)

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20190630_uploaded

夢への軌跡_FX_おじえん_相場環境認識_20190630

https://fukuyama-syo.com/archives/11635

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20190630_uploaded

夢への軌跡_FX_どるえん_相場環境認識_20190630

https://fukuyama-syo.com/archives/11631

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収縮と伸長の繰り返しです。

2018年のドル円の年ボラは10円ちょっとです。

  

平均値は16円程度です。

 

と言うことは、

2019年は反動がくるのではないか?

と考えています。

  

エリオットで数えていきましょう。

 

いつか来るであろう、毎日給料日と

考えています。はいっ! 

    

負けないトレードを目指します。

  

個人的な目標は週に100 pipsです。

この技術があれば、怖いことはないですね。

 

色々な考え方がありますが、

それぞれの通貨で、

しっかりと、学んでおくと

失敗は少なくなりますね。

 

「えふえっくす」は心理学の一つかもしれません。

  

このようなアナリスト気分になれるのは

やはり、学びです。

 

学びは力になりますね。

https://fukuyama-syo.com/2019

           

【学ぼう! えふえっくす!!!】

スタートミーアップ 「えふえっくす」 です。

 

学んでみませんか?無料です。

全国で開催中です。

 

興味があれば、覗いてみましょう。   

その後の判断は、自分で考えてくださいね。

 

学びは裏切りませんので

まずは、学んでからトライしていきましょう。   

  

「えふえっくす」で勝敗を分ける理由は、

・情報不足

・慢心

・思い込み

となります。

  

今や、感情を度外視したトレードも可能ですね。

感情トレードは資産を溶かします。

ですから、学びましょう。

 

学びを怠ると、自分の力にはなりません。

https://fukuyama-syo.com/2019

  

にゃんにゃんにゃん。。。

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#FX

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。