夢への軌跡_今の仕事は10年後に存在するのか?

【今の仕事は10年後に存在するのか?】

 

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【今の仕事は10年後に存在するのか?】

 

◆成功のサイクルを回しちゃいましょう。◆

福山 紫生(Syo Fukuyama)です。

 

 

瞑想が大好きな私は、

ふといろいろなことを考えます。

 

社会人になって、30年近く、

コンピュータという処理能力の早い機械に

翻弄されつつも、人間の意地を確認しつつ

そのスピードに追い付いてきました。

 

当時は、携帯電話ではなく、公衆電話が主で

テレフォンカードなるプリペイドカードに

芸能人や美しい景色が映し出されていました。

 

今でも、金券ショップ等では販売されています。

 

今や、そのカードが使用できる電話も少なくなりました。

SIMカード(Subscriber Identity Module Card)と呼ばれる

小さいICカードがスマートフォンの中に入り、

個人が移動しながらインターネットで調べて

活動できる時代となりました。

 

GPS(Ground Positioning System)機能の搭載されたスマホで

道順まで案内してもらえ、利便性と言う点では、非常に良くなって

きたのではないかと感じています。

 

では、それだけ進化したツールがあって、

「今の自分のやっている仕事は継続してあるのか」

と考えたところ、

これだけ、進化していたら、

『なくなっても、おかしくはない!』という結論に至りました。

 

本当に今の仕事が継続できるのか?

と不安に陥った時に、

逆転の発想で、収入源を増やして、怖い思いをしたくないと

感じるのは私だけでしょうか?

 

常に学び続け、そして行動し続ける人が成功します。

 

ゲーム感覚で継続している人は、苦しみを感じないので大正解ですね。

少しの投資は必要かもしれませんが、

小遣い程度で十分です。

 

まずは、ゼロから始めてみましょう。

覗くは無料です。

勉強するのも無料です。

 

無料から始まる収入源確保の法則です。

まずは、始めの一歩を歩みましょう。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

 

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2 件のコメント

  • 福山さん、こんにちは。
    さっちと言います。

    これから、言われたことだけをこなす人は仕事がなくなると言われています。
    50数年生きてきて、なくなったお仕事をこの目で見てきました。
    危機感を覚える人は、副業にトライするのでしょうか?
    私も豊かな老後のためにアフィリエイトを学んでいます。
    応援完了です

    • さっちさん コメントありがとうございます。
      危機感を感じていない人に対して、しっかりと学んでほしいと思っています。
      副業だけではなく、独立も視野に入れて、自分の夢を叶えて欲しいですね。
      私もさっちさん同様、リアルに将来を感じています。
      応援ありがとうございます。

      福山 紫生(Syo Fukuyama)

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    ABOUTこの記事をかいた人

    はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。