夢への軌跡_思い込みと常識

20160723_思い込みと常識

詳細はこちらをご確認ください。

【思い込みと常識】


おはようございます。

今日のお題は、【思い込みと常識】です。


過去に【常識の定義】というテーマで

投稿したのですが、

http://ameblo.jp/fukuyamashow/entry-12169132419.html

改めて、見直したいと思います。


自分の【思い込み】が標準化されて、

それが、いつの間にか、

【常識】となってしまう

場合が多いようです。


常に自分の【常識】は、あくまでも

自分の【思い込み】であって、

他人様には関係がないということですね。


このような謙虚な気持ちが

全ての人々に備わると

争いもなくなり、

素晴らしい社会が生まれるのではないでしょうか?

と言っているのは私だけでしょうね。(笑)


これは、理想論であって、とりあえず、

置いておきましょう。


それぞれ人の【思い込み】について

皆さんはどのように考えていますか?


例えば、日本人の平均年収は約400万円だそうです。

当然、それより収入の多い人、桁の違う人も多く

いらっしゃると思います。


しかし、それ以下の方も当然、いらっしゃいます。

平均値の法則というのがあり、

日本人の平均年収 約400万円辺りの人口がとても多く

それ以上になれば、当然少なくなります。


また、逆にそれ以下になれば、当然少なります。

分布図の形状は山の形を作りますよね。


それぞれの層の【思い込み】というのがあり、

それが、その層の【常識】となります。


『類は友を呼ぶ』と言いますが、

同じ環境にいる人たちに囲まれている方が

≪居心地≫が良いのです。


その≪居心地≫の良さを求めてしまうと

自分の収入に変化は

全く起こらないということが言えます。


何かを変えるためには、

何かをしなくてはならないのです。

従い、

収入を上げたいのであれば、

自分が変化しなくてはならないのです。


その変化を怖がっているようであれば、

今までのままとなります。


自分の【思い込みと常識】を今一度

変化させることによって、

新しいことを始めることができるのです。


新しいことを始めることに躊躇していては、

何年経っても、進化はありません。

「国がなんとかしてくれる」

とか

「政治が悪い」

とか

言う人は

『他責の文化』となりますね。


日本人には非常に多い考え方です。

このまま、他責で過ごしていてはいけないと

思うのは私だけでしょうか?

「少しでも、生活を安定させたい。」

「子供たちに自由な生活をさせたい。」

「自分のほしいものを早く手に入れたい。」

などと考えているのであれば、

行動が必要です。


少しでも多くの情報を手に入れ、

時期を見計らって、

自己責任で変化することが必要です。

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


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やっぱり思い込みっていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

あなたの可能性試してみませんか?

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。


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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。