夢への軌跡_主治医からの電話

20190514_主治医からの電話

  

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【主治医からの電話】

 

おはようございます。

514日 火曜日です。

 

日々、スケジュール上は、いっぱいいっぱいです。

 

通常の営業活動で、疲労困憊状態の私です。(笑)

 

自宅に戻ってくると、

ケモノが足にまとわりつきます。

 

面倒なんですけど、

これもリフレッシュですねぇ。

 

単なるケモノなんですけど。

都合が悪くなるとケモノはいなくなって寝ます。

 

と言うことで、

そのような月曜日を過ごしましたが、

突然の【主治医からの電話】です。

 

仕事を終了して、

駐車場に車を入れ終えた直後でした。

 

電話がなりました。

 

あらあら。

代表番号としては、実父の入院している

病院ですねぇ。

 

第一に、思ったのは、

『あれほど、元気だったのに死んだかも?』

とよぎりましたが、

 

よーく、考えるとそのような事態ではないですね。

バッチリ元気なようです。

 

◯◯病院です。●●科の△△より、電話を入れています。」

と言う交換台の方からの連絡があり、

『お願いします。』

と伝えたところ、

主治医登場です。(笑)

 

その主治医ですが、年齢的には、

30代女性であり、一度面談をしていますが、

とても理論的な医師でした。

 

私も業界の端くれなので

実父とは言え、冷静に判断しています。

 

「一度、心臓の医師と面談してもらえますか?」

 

『良いですよ。明日、病院に伺いますので。』

 

「それは嬉しいです。

 担当の循環器内科の医師に連絡します。」

 

とのことでした。

 

その理論的な医師は、

「やる気バリバリなんですけど。。。」

 

『そうですよねぇ。ギャンブルになっていると思います。』

 

と言うやり取りで理解できるように

実父の改善を期待するには、4段階に増えたようです。

 

体の水抜き

心室拍動の調整

A弁置換

冠動脈バイパス手術

 

とのこと。

 

『それは、しんどいですねぇ。

 重度の糖尿病患者であり、

 抗凝固剤を投薬していますから。』

 

と言うと、

「そうなんです。息子さんはどのように。」

 

『私の個人的意見としては、

 2ステップまでです。

 その後の大きな手術は、オーバー80であれば、

 難しいでしょう。

 更に、抗凝固剤投与と糖尿病患者なので

 大きな手術後に、非常に迷惑な患者になりかねないと

 予想できますけど。。。』

 

「おっしゃる通りです。」

 

『ですから、循環器の医師から大きな手術はできない。

 と伝えてください。』

 

と言う内容で電話を切りました。

 

そうなんですよねぇ。

 

死生観をしっかりと持っていないと

自分の現在の状況が掴めませんね。

 

全ての4ステップを手術として行うと、

1000万円以上の費用がかかります。

 

後期高齢者ということで

10%負担とはなりますが、

その後の経過については、難しいですね。

 

糖尿病を持っているので

完全回復ができないとなると、

寝たきりの状態になりかねません。

 

そして、意識はないという状況ですね。

 

そのようになると、

病院にも迷惑をかけ、

我が家にも火の粉が降りかかってきますので

 

なんとか、医師から危険すぎるのでやめたい

ということを伝えて欲しいと言いました。

 

ほぼほぼ、20分の電話です。 

息子である私の意図を確認したかったのでしょう。

 

同じ業界の人間である以上、

大きな手術をして、完治したとしても

生産性人口には加わりません。

 

死生観をしっかり見据えて

楽しんで過ごすことが大事ですよね。

  

【主治医からの電話】は

方向性がしっかりと理解できる

双方にとって、有意義な時間でしたが、

回復している実父にとっては、

マイナスの内容でしょうね。

     

人間、一人では生きていけないのです。

自分に関わる全ての人に、

そして、身の回りの道具に、

更には、自分自身にも感謝です。

 

にゃんにゃん。。

      

今日は、火曜日です。

 

月曜日のトレードは嫌いです。(笑)

 

理由は、東京市場開幕前に2日も

時間があるので、

予想通りに動かない状況となります。

 

ですから、日中はエントリーしません。

 

欧州でも、やめようかなぁと思ったのですが、

波に乗ってみました。

 

いやぁ、

圧巻のニューヨークですね。

 

 

過去に痛い思いをしているからこそ、

自分に冷静に、

そして、

真摯にトレードに向き合いたいと考えています。

    

エセアナリストのお仕事です。(笑) 

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20190512_uploaded

夢への軌跡_FX_ドル円_相場環境分析_20190512

https://fukuyama-syo.com/archives/11073

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20190512_uploaded

夢への軌跡_FX_オジ円_相場環境分析_20190512

https://fukuyama-syo.com/archives/11069

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収縮と伸長の繰り返しです。

2018年のドル円の年ボラは10円ちょっとです。

  

平均値は16円程度です。

 

と言うことは、

2019年は反動がくるのではないか?

と考えています。

  

エリオットで数えていきましょう。

 

いつか来るであろう、毎日給料日と

考えています。はいっ! 

    

負けないトレードを目指します。

  

個人的な目標は週に100 pipsです。

  

この技術があれば、怖いことはないですね。

 

色々な考え方がありますが、

それぞれの通貨で、

しっかりと、学んでおくと

失敗は少なくなりますね。

 

FXは心理学の一つかもしれません。

  

このようなアナリスト気分になれるのは

やはり、学びです。

 

学びは力になりますね。

https://fukuyama-syo.com/2019

        

【学ぼう! えふえっくす!!!】

スタートミーアップ FX です。

 

学んでみませんか?無料です。

と言えるのは今回で最終回となります。

 

興味があれば、覗いてみましょう。

525日は東京での開催です。

無料提供は厳しくなりそうです。

   

その後の判断は、自分で考えてくださいね。

 

学びは裏切りませんので

まずは、学んでからトライしていきましょう。   

  

FXで勝敗を分ける理由は、

・情報不足

・慢心

・思い込み

となります。

  

今や、感情を度外視したトレードも可能ですね。

感情トレードは資産を溶かします。

ですから、学びましょう。

 

学びを怠ると、自分の力にはなりません。

https://fukuyama-syo.com/2019

  

にゃんにゃんにゃん。。。

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#FX

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。