夢への軌跡_年賀状の有難み

20170105_年賀状の有難み

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【年賀状の有難み】

おはようございます。

今日からお仕事です。
新たな出発となるので、各方面からの電話のやり取りは
必須となりますね。

さて、昨日、慌てて年賀状を投函しました。
そもそも、我が家のスケジュール的に年末はタイトとなり
1日には到着しないくらい遅い投函となるのですが、
今回は、非常に遅いというのも遅すぎるという対応でした。

そこで、今日のお題は、【年賀状の有難み】です。

毎年、毎年、インターネットやパソコンを使用する機会が多く
『わざわざ年賀状を書くまでもないか?』と思いつつ
書き始めるのがクリスマス過ぎとなります。

早ければ、27日当たりには投函が可能なのですが、
今回はちょっと、大掃除に多忙過ぎて手が付かず、
取り掛かったのは29日となりました。

我が家の年賀状は3種です。
お父さん用、お母さん用、小粒ちゃん用と3種類の印刷を
必要とするため、非常に時間がかかるので
(更に、絵柄を気に入らないと何回も印刷せねばならず。)
お母さんと小粒ちゃんの動きを見ながら、
自分の賀状アイデアを密かに貯めていました。(笑)

結局、投函したのは30日、
恐らく到着したのは3日であり、
まぁ、仕方ないかと思っていたところ、
1日にはどっさり、賀状が届き、
更に、発送していない方からもたくさん頂戴し、
改めて、印刷と宛名書きという作業に追われました。

中でも、本当に賀状のみのお付き合いという方も多く
それでも、一年に一回は交流があるのだなぁと感じました。
日本の文化とも言える、年賀状のやり取りを
11月の賀状発売と共に、『面倒だなぁ』と思っていたときから
1月を過ぎると、『毎年の近況報告も必要だなぁ』と
考え直しました。

わざわざ、電話で話すこともないけど、
『元気だよ。』
『結婚したよ。』
『子供が生まれたよ。』

などなど、嬉しい報告ばかりにほくそ笑む自分がいることに
あながち、『馬鹿にしてはいけないなぁ』と思いました。

年始にも関わらず、配達してくれている郵便局の方も
大変な物量に追われていることでしょう。

20170105_gajou

 

改めて、日本の文化を考え直した仕事始め前日でした。(笑)

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。
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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。