夢への軌跡_見舞いに行っても・・・

20190319_見舞いに行っても・・・

 

==============================

励みになります。

クリックして応援してくださいね。


人気ブログランキング

 
==============================

 

【見舞いに行っても・・・】

 

3月19日 火曜日です。

 

今日は、外国人と同行です。

頭の中を英語に変えないと。。。

 

と考えている私です。

 

さて、どこまで通じるかは

わかりませんが、

精一杯努力して、

楽しい時間を過ごしたいですね。

 

今日は、全身全霊で英語です。(笑)

 

さて、今日のお題は、

【見舞いに行っても・・・】です。

 

15日金曜日から入院している実母の

様子を伺いに訪問してきました。

 

何が原因で入院したのか?

ここが大きな問題となっているようです。

 

理由はわかりませんが、

背中・腰が痛いという愁訴があったようです。

 

レントゲンで異常なし。

 

嘔吐があるので、

胃カメラで確認するも

異常なし。

 

という状況であったようです。

 

実母曰く、

「胃カメラ飲んでから、吐き気が止まらない。

 大丈夫だから、帰って良いよ。

 ごめんね、迷惑かけて。」

とのこと。

 

早々に病室を後にして、

ナースステーションへ

取り急ぎの挨拶だけして帰ろうとしたところ、

引き止められました。

 

担当医師から説明したいとのこと。

 

個人的には、延命に関する内容だなぁ

と理解していたので、

『30分くらいなら待てますよ。』

と答えました。

 

担当している病棟の看護主任のSさんも必死です。

(笑)

 

入院した患者は80歳

付き添ってきたのは83歳ですから。

 

認知が入っていないとは言え、

まともに話をするには厳しいと判断したのでしょう。

 

『本人は、胃カメラの時にリドカインを飲んだので

 それが胃に落ちて痛みが発していると言っています。

 麻酔薬で胃が痛いということは稀なので。

 様子見が必要でしょうね。』

 

と福山節を伝えたところ、

看護主任の顔色が変化して、

「ドクターでしょうか?」

と低姿勢に変わりました。

 

病院としても、医師を家族に持つ患者は

扱いにくいのでしょうね。

 

そして、説明の言葉にも

専門用語と丁寧さを感じます。(笑)

 

「お忙しいとは思いますが、

 すぐに担当医師を呼びますので

 最大で30分程度待っていただくことは可能でしょうか?」

 

とのこと。

『この状況では、医師の判断でも原因不明のままでしょう。

 待つ意味があるのでしょうか?』

 

と時間が一番大切な私にとっては、

突っ込みどころ満載の回答です。(笑)

 

『要は延命の内容でしょ?

 30分、待つ価値があるのであれば、待ちますよ。』

 

と余裕をかまして、待っていると

10分程度でやってきました。

 

H医師です。

私より年配の方でした。

 

もちろん、見た目ですけど。。。

 

色々と説明を受けていると、

やはり、延命の話に到達しました。

 

入院患者の年齢を考えると

最終的にはそこに至るんですよね。

 

急性期を超えた時に

どのように判断していく指針が必要なわけです。

 

私の意向をしっかりと伝え、

人工呼吸器や他のデバイスのお世話になるような

延命措置は回避してもらえるように伝えました。

 

そして、それを電話で

実父にも伝えました。

 

年齢的に、4日も寝たきりになってしまっては

リハビリに時間を要します。

 

次のステップを考える必要があるわけですね。

家に近い施設への移動が必要です。

 

しかし、そのためには食事ですよね。

4日間、食事をせず、

これからの復活にどのくらいかかるのか?

 

気になりますね。

 

しっかりと原因究明して

回復に向かって欲しいものです。

 

【見舞いに行っても・・・】

実母と話をしたの二言、三言でした。

 

看護師や医師との時間が多いですね。

ある意味、自信につながりました。

 

この程度の知識で

「ドクターですか?」

って聞かれるんですね。

 

そして、相手の警戒心が旺盛になります。(笑)

          

にゃんにゃん。。

  

昨日の月曜日は、

無理してエントリーしたので

損切りでした。

 

夕方からのエントリーは、

建値約定と色々なことがありますね。

 

しかし、新たな勉強になりました。

月曜日は見送りが必要です。(笑)

 

わかっていたことなのに。。。

 

ドル円でもひげが多くてエントリーはできません。

 

オジ円は、週足ミッドからの下降が当たっています。(笑)

(ニンマリ!)

  

個人的な目標は週に100 pipsです。

先週もしっかりとプラスです。

  

この技術があれば、怖いことはないですね。

 

色々な考え方がありますが、

それぞれの通貨で、

しっかりと、学んでおくと

失敗は少なくなりますね。

 

FXは心理学の一つかもしれません。

  

このようなアナリスト気分になれるのは

やはり、学びです。

 

学びは力になりますね。

https://fukuyama-syo.com/2019

    

【春の無料セミナー開催しまーす。】

スタートミーアップ FX です。

 

学んでみませんか?無料です。

まずは、覗いてみてから考えてみても良いと思いますよ。

 

その後の判断は、自分で考えてくださいね。

 

学びは裏切りませんので

まずは、学んでからトライしていきましょう。   

  

FXで勝敗を分ける理由は、

・情報不足

・慢心

・思い込み

となります。

  

今や、感情を度外視したトレードも可能ですね。

感情トレードは資産を溶かします。

ですから、学びましょう。

 

学びを怠ると、自分の力にはなりません。

https://fukuyama-syo.com/2019

  

にゃんにゃんにゃん。。。

 

==============================

少しでも前向きになれたなぁと

感じたら、

クリックして応援してくださいね。


人気ブログランキング

==============================

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

――――――――――――――― 

決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#FX

――――――――――――――――

いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

************************************

 

福山 紫生(Syo Fukuyama

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。